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2008年12月13日 (土)

初体験は兼好師匠!~落語は“場”の芸術~

昨日の夜、第1回生らくご会「遊雀&兼好 らくご珍道中~広島編」(主催:広島で生の落語を聴く会)で、生の落語を初体験してきました。

仕事の都合で少々遅れて入場すると、二席めがちょうど始まるところ。
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 一.三遊亭遊雀
 二.三遊亭兼好
   (中入り)
 三.三遊亭兼好
 四.三遊亭遊雀
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という上演順だったため、私の生落語の初体験は、三遊亭兼好師匠。
よく響く高い声が印象的で、落語の楽しみ方などを交えつつ、演ずるは『元犬』『壺算』という話。『元犬』は真っ白い犬が人間になるという話で、「某電話会社CMの犬も真っ白いですよねぇ」などと言って会場の笑いを誘って話を始められたり、なかなか楽しい方です。

そして、トリの三遊亭遊雀師匠は『紺屋高尾』という、染物職人・久蔵と吉原の花魁・高尾の純愛話。こちらは特に前フリも無くサラリと話に入られるスマートさ。(一席めから聞いていたダンナによると、最初はもうツカミまくりだったそうな)
久蔵で話すときは職人らしい力一杯な声、花魁で話すときは呟くような愛らしい話し方。

テレビなどで聴くのと比べて、声の厚みというか響きというか、そういったものが全然違う。これが生ってことなのかな。

兼好師匠の言われた「落語はとても不親切な演芸。芝居やミュージカルのように、たくさんの出演者で楽しませる訳でもない、豪華な舞台セットがある訳でもない、素晴らしい音楽が鳴る訳でもない。聞き手に場面を想像してもらって初めて成り立つ。でも、だからこそ、何でもできる。」(私の記憶で書いているので話された通りではないです。間違いあればご容赦)との言葉に、ナルホド!と。

11月に「コンテンツプロデュースセミナー」で、湖川友謙さんが言われた「アニメは小説や漫画に比べて想像の余地が少ないから、原作を持つアニメは面白さという点では負ける。」という話をふと思い出します。(だからアニメがダメだという話ではなく、そこでどう見せて行くかが問題になるのですが)

アニメにしても落語にしても、受け取る(見る・聴く)側がどう作品に係わっていくかが大切なんだろうなぁと感じた次第。

打ち上げにも参加させてもらって、両師匠のお話をいろいろと聴けたのも、めったにないこと。とゆーか、初めて生落語を聴く初心者がこんな贅沢させてもらっていいのだろーか?(^_^;)

同じ演目でも演者によって、どの登場人物を主にして話すか違うそうだし、先行する演目や客席の反応次第で後続の演者は急遽その場で演目を変えることもあるそう。すごいねー。
聴いている“その場”で係わって行ける面白みがあるんですね。
そうやって、演芸場という“場”の中で展開される芸術(大袈裟?)が、落語なのかな。
アニメなど完成した映像作品では、そこまではできないけれど、映画館に見に行けば同じ劇場というハコの中で見ている人達と感動を共有できる楽しみがあり、それはDVDなどでは味わえない。だから、これはと思うアニメ映画は必ず劇場で見るようにしているのだけどね。

より積極的に“場を共有して楽しむ文化”をもっと体験できたら面白そう。

遊雀師匠が「プロの聴き手になって欲しい」と言われたのが、とても私の中に残りました。
アニメーションフェスティバルで作品を見ていくなかで、『良き観客』になることが作家を支援していくことになるんじゃないか?と思っていたのは、間違いじゃなかったようです。

ああ、刺激的で楽しい初体験でした。

三遊亭遊雀プロフィール(落語芸術協会HP)
三遊亭兼好プロフィール(星企画HP)

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