原風景
放ったらかしのページ、初めてのまともな文章アップです。
まずは、お茶のある風景との出会いから。
私の出身地・島根県松江市は「一日八回お茶を飲む(*)」と言われるほど、やたらとお茶を飲む土地で、生活のそこここにお茶が散りばめられている暮らしがありました。やたらと飲む所為か、お茶の種類も煎茶に番茶(焙じ番茶)、抹茶といろいろ。抹茶も江戸時代のお殿様が始めた地方流派があるくらいで、そんなに格別なものだという印象はなく。
(*) 寝覚めの一杯、朝飯で一杯、10時に一杯、昼飯で一杯、3時に一杯、仕事上がりに一杯、晩飯で一杯、寝る前の一杯(回数うろ覚えなので間違ってるかもしれません)
日々の食卓には急須が一個以上スタンバっていて、向かいのおばちゃんが貰い物のおすそ分けに来たら「まぁ上がって」と茶を出すし、ゆのみのお茶が無くなったと言っては茶を注ぎ足す。茶を出されたら、まず3杯は飲んで帰るのが当たり前。家庭訪問の先生は「お茶を出すなら1杯以上は注がないように親に言っておけ」と注意を出すのです。
幼い頃の記憶を辿ると、何かお祭りでもある時だったのでしょうか、改築前の古い台所の土間に設置されたくど(かまど)に釜をかけて、お茶を大量に焙じていました。
自営業というか何というか、両親は家には居るが働いていたので、私は幼い頃はもっぱら祖母に育てられました。祖母は昔ながらの、三時のお茶は抹茶の人だったので、小学生の頃、祖母の「三時」にお付き合いすることが何度もありました。(とは言え、男の子と三角ベースしたり、秘密基地だ〜と木登りしたりするような、生傷の絶えない子供だったから、毎日では無かったと思うんですけどね(笑))
祖母のお茶は何だかのんびりしたお茶でした。私が点てたお茶を「きれいに泡が立ったねぇ」と誉め、「茶碗の一番きれいな所を人に見せるんだね」とさりげなく茶碗の回し方を教え、どこなんだか解らないと言うと「一番飲みやすそうな所から飲めばいいんだよ」と何も咎めない。・・・たぶんこれが、私の喫茶の原風景だと思います。
お茶は好きに飲めば良いもの。ただ、一緒に飲む人に少しだけ気を配って。
少し後悔しているのは、抹茶とはそういうもの、勝手流で良しと思ってしまって、習いに行くことをしなかったことです。体も頭も柔軟な若い頃にやっておけば、なにかしら身についていただろうに。最近、煎茶を習い出して思ったことに、体が見たまま即座に反応しない、所作の理由をひとつひとつ頭で理解・納得していかないと動作が続かない、しかも理解も遅い・・・。うーん、悔やんでもせんなし。
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