金曜ロードショーで放送されたジブリ『ゲド戦記』を見ながら、そして鑑賞後にツイートした内容をまとめてみた。
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今朝この夏はじめて蝉の声を聞いた。朝早く蝉の声で起こされて、窓から入る風はまだ北風で涼しかったから二度寝した。なんか幸せな朝だったな。起きたら昼で暑くて蝉も鳴いてなかったけど。
『ゲド戦記』は劇場公開時には見てなかったので、いちおう見まする。なんで見てなかったかなーと思ったら、二度目の膝の手術をして退院した後の夏だな。アニフェスもあったから、そっち優先にしたような。たぶん劇場の人ごみが怖かったんだと思う。アニフェスも人は多いけど、参加者がみんな慣れてるから普通の劇場のように怖くない。
そいえば、2006年のアニフェスは8月下旬開催だったな(自分のブログで確認)。8月7日~の日程になったのは2008年からだったか。来年はまた8月下旬開催に戻る訳だが。
ゲド戦記と聞くと平成ガメラ2を思い出すのは私だけだろうか? 「お酒は『ゲド戦記』の裏…」ってやつね。ちなみに同じ本棚に『アロイス』のコミックスもあったような気がする。
『ゲド戦記』が酷評されるのは、たぶん「なんとなく宮崎っぽいアニメ」っていう微妙感が許せないんだろうな。逆にいえば、古今の宮崎アニメの画面・表現テイストをよくここまで突っ込んだなーという感もあるよ。東映動画時代(ホルスとか)っぽい画面もあるね。そういう意味では、子供の頃から父の仕事をよく見てたんだろうなとも感じましたが。いや、しかし、実際、これは本当に作るの精神的に大変だったろう。
それにしても作画協力のラインナップがぱねぇ。竜の子プロダクション、マッドハウス、ガイナックス、ゴンゾ、プロダクションIG…。
さて、放映終了。つまらんつまらんと言われてたので冷静に観ることができて良かった。とても興味深かった。宮崎吾朗という人は才能というかセンスある人だと思う。ただし、そもそも景観設計家なのであって、緑や建物の描画センスはあっても動きを旨とするアニメーションの監督としては素人のはず。
本来、『ゲド戦記』ほどの作品をアニメ化するなら、監督すべきは宮崎駿では?そこをあえて吾朗氏に監督させざるをえなかったジブリの構造的欠陥こそ非難されるべきで、吾朗氏だけがボコにされるのはどうにも違和感がある。もちろん監督は作品の全ての責任を負うので叩かれるのは止むを得ないが。
ジブリは宮崎駿だけで成り立っている状態を続けてきて生え抜きの後継がいないから、興行的に付加価値のある息子・吾朗氏を立てざるを得ないというか…(近藤嘉文さんが亡くなったのが痛過ぎだろうなと思いつつ)。経験の無い新人監督なんだから、大目にみてやれよと思った。
1800円払って劇場で見ていたら怒ったとは思うけど、宮崎駿テイストを表現するぞ感があって(もちろん表現レベルとしては残念)、微笑ましかったですよ。宮崎アニメ好きの新人監督が作ったと思えば腹も立たない。ただ、いかんせん吾朗氏だったというのが問題。
『ゲド戦記』の失敗は、制作会社ジブリのビジネスとしての失敗なんだと思うんだ。素人考えだが、駿氏がハウルにかかりっきりで対応できないなら、先延ばしすれば良かったんだ。吾朗ちゃんはもう頭を金髪にして「グリーンヴィジュアリスト」とか名乗ってアニメから手を引いていいよ。…ていうのは冗談ですが(ヴィジュアリストの人にも失礼です)、それでもなお、『コクリコ坂から』でまた監督をしようというところに、吾朗氏のジブリという存在に対する決意のようなものを感じるのです。本当は、作品の良し悪しだけで評価すべきとは思いつつ。
まぁ、こういうことは上映当時にも言われてたんじゃないかとは思うんだがな。
とりあえず『ゲド戦記』(原作)は読み直さないとなー。いや、アニメと原作は全くの別物だと思うよ。当然。だからこそ読む。そして、できるなら『コクリコ坂から』を見に行くんだな。宮崎駿の老害ないしジブリの大人の事情で吾朗氏を監督に立てたのか、そうであれ、吾朗氏が今回どのようであるかを。
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