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2018年6月の2件の記事

2018年6月11日 (月)

ものをつくる過程をみる、しるということ

それは、気づくこと、考えることにつながる。
日々の暮らしの中で、気づき、考えることは生きる力につながる。
多くの人が気づき、考えると、その周りが少しずつ変わっていくのだと思う。

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2018年夏コミ向けの原稿または広島アニメーションだより原稿へのアイディア追加。
ないしは、今後なんらかの学びの中での論文目標的な…。
【更新履歴】
●2018/6/11 書き始め。

2018年6月10日 (日)

テレビ視聴体験について思うことなど(一人ブレスト)

Facebookで知人のT先生(社会学大学教授)が、1年生対象科目「メディア文化概論」はテレビの普及と視聴形態の変遷がテーマという書き込みをされていた。

対象学生にテレビ視聴状況を書いてもらったら、一人暮らしの学生の場合はテレビ視聴時間はかなり短いのだが、自宅から通う学生の場合は2時間〜4時間ぐらい観ている、家族がリビングでテレビを観てるので何となく一緒に・・・との回答が多かったとのこと。
テレビ視聴形態が集団(家族)視聴に回帰しているのか?との仮説提案だったのだが。

それで、思ったことを一人ブレスト的に書き連ねてみる。
まとめる気はないので、論が破綻するかもしれないことはご容赦。

昭和50年代前半(1970年代)までは、テレビ視聴形態は、「時」(放映時間)と「場」(テレビが設置されているお茶の間など)を共有するしかなかった。だから、テレビ番組はその番組(コンテンツ)そのものだけではなく、時や場を合わせての共有体験として記憶される。
昭和50年代後半(1980年代)になって、ビデオデッキが一般に普及し、テレビ受像機1人1台化が進んで、テレビ番組はコンテンツそのものを観る時代になっていったのかもしれない。

コンテンツそのものを観るという観点では、1980年代からOVA(オリジナルビデオアニメ)が出現したのは、放送で広く共通的に観ることが難しい作品が花開いたのは意味があるように思う。

現在、もし若い人たちの一部がテレビの集団視聴に回帰しているのかもしれないと考える時に、それは動画視聴体験がテレビ視聴に持ち込まれているのではないか?とも思う。
動画視聴は、特にSNSとの連携で、コメントしたり、共有したりすることを伴う。その際に「時」を共有することが体験的に意味を持つことがある。同時に見て、コメントをつけたり、コメントしないまでもそれを見ている時間を楽しむ。
映像を観て楽しむ行為に「共有」がつきものだという感覚があるのかも。
一般にしられた象徴的な例が「バルス」かなと思うが。(もう古い?)

単なる回帰ではなく、意味を少し変えた新しい体験共有という回帰というべきか。

もうひとつ気になるのは、CMの存在。
ビデオデッキが普及してCMカットという行動が出てきて、テレビCMが持つ経済的な意味も無くなっていったようにも思うのだが、新しい体験共有に回帰した場合にそれはどうなるんだろう?

映画も、ここ数年、劇場(映画館)回帰が進んでいるように思っている。
それは、劇場で観るべき優れた作品が多く現れたこともあるし、劇場自身の努力もある。
映像・音響の優れた設備を備えたスクリーン、それが難しい老舗映画館であれば、その独自の雰囲気を楽しむことを見つけるオーディエンスが増えてきた。
映画は新しい局面を迎えつつあるように感じている。


ここからは余談。
私たちの世代は、家族と共に観られない、あるいは家族に観ることを許して貰えない番組を何とか観ることに、ひとつの文化を作っていく意識があったかもしれない。(とかいうと偉そうだが、深夜なエロ番組とか、アニメとかね)
そういう意識は既に過去のものになって、今は、個人個人の秘めた想いはどこに行ったのだろうか?

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